3月29日の日曜日には、JR戸塚駅(神奈川県)の駅前広場で行われた「オルタボイスフェスタ」に参加してきました!このフェスタは、外国につながりを持つ子どもや若者たちの声を発信することを目的としたものです。APFSからは17家族より2家族、ラフィークさん一家(父:スリランカ出身 母:ペルー出身)と中国出身のAさん親子が参加し、在留特別許可を求める署名活動もしてきました。
「はじめは怖かったけど、協力してくれる人がたくさんいてとても嬉しかった。」とは、参加した支援家族の子どもの声です。最初は緊張して自分から声をかけることが出来なかった子ども達も、多くの方から励ましを受けて、署名の終盤には自分から積極的に声を出すようになってました。一緒に参加していたAPFSのスタッフも、3時間といった短い時間でも早速成長をしている姿を見てとても嬉しく思ったそうです。
また、ステージで10分ほど「在留特別許可」を求めるアピールもさせていただきました。ラフィークさんの子どもたちは、それぞれしっかりと前を向いて「医者」「警察官」になりたいという夢を語りましたが、Aさんの子どもは、父親が入国管理局に収容されたいた頃の辛い経験を思い出したのか、言葉を発することができず涙を流してしまいました。けれども、この姿が「在留特別許可」の背景にある問題の複雑さ・深刻さを伝えることとなったのでしょう。その後、沢山の方から励ましの言葉を頂きました。
署名活動を継続する中では多くの出会いがあります。今回も、子ども時代の経験を話してくれた外国籍の方、難民支援をしている弁護士さん、在留特別許可を取られたイランの方などが、親身になって家族を励まし具体的なアドバイスをくださいました。その中でも最も感動的だったのは、参加していた地元の高校生が「私、集めてきます!」と言って一緒に署名を集めてくれたことです。この高校生の行為に対して、Aさんは「大変なこともたくさんあるけど、日本には沢山いい人もいる。本当に嬉しい。」と涙ながらに喜んでいました。
2家族にとって初めての署名活動は大成功に終わり、ラフィークさんも「今度はもっと大きい駅で署名活動をやりたい」と帰り際に署名活動に対する意欲をみせていました。今回は、外国人に理解のある人が多いイベント内での参加ということもあって、署名に協力的な方が多かったように思います。署名してくださった皆様、本当にありがとうございました!しかし、われわれの活動に賛同しない人や、全くをもって無関心な人に署名活動を通じて出会うことも決して少なくありません。一人でも多くの方に問題を理解していただくために、今後も署名活動を継続していきたいと思います!(予定は未定とかは言わないでください。。。)
2009年3月30日月曜日
2009年3月29日日曜日
2009年3月27日金曜日
100 Days Action!(詳細版)
昨今のマスメディアによる連日のカルデロン家族に関する報道をきっかけに、日本にも「不法滞在」外国人が住んでいるのだと初めて認識した方々も多いのではないでしょうか?滞在資格が無いままに日本に居住する外国人の数は現在11万人とも17万人ともいわれています。彼らの多くはバブル景気で世の中が浮かれていた頃、圧倒的な労働力不足という背景の中来日した人々です。日本政府は単純労働者の受け入れを公に認めてはいなかったため、有資格者の模範的な外国人以外は、さまざまな手段を用いて日本に流れ込んできたのでした。そして、実際に彼らを必要とする労働市場が日本には存在しており、ある意味、行政も黙認してきたのです。
今回、私たちが支援している17家族56名も、そのような数多くの外国人労働者の一部にすぎません。イラン、スリランカ、中国、パキスタン、フィリピン、ペルー、ミャンマーからやってきた彼/女らのどの家族もすでに日本での居住年数が15年から20年を超えており、滞在資格が無いながらも、日本で働き、日本人の友人達と支え合い、多くの日本人と同様に平穏な生活を地道に築き上げてきた人々です。そして、私たちが支援するすべての家族には日本に生まれて、日本で育ち、両親の故郷の地を全く知らない子どもたちがいます。
100 Days Actionキャンペーンが目標とするのは、そんな彼らが堂々と胸を張って日本で住み続けることのできるよう在留特別許可を得ることです。在留特別許可とは、入管法50条1項にて定められた、滞在資格の無い外国人達が日本で居住することが認められる法的な救済処置であり、法務大臣に裁量権が任せられています。APFSをはじめとした様々な市民団体、弁護士そしてもちろん当事者達の活動の成果もあり、法務省は在留特別許可に関するガイドラインおよび認定/非認定事例の一部ケースを公開するようにはなりましたが、いまだにその運用には不明瞭な点も多く、果たして法の下の平等が守られているのか市民を巻き込んできちんと検討していく必要があります。
2009年2月1日に始まった今回のキャンペーンでは、様々なイベント/行動を通して、支援する17家族全員が在留特別許可を得られるよう日本政府に働きかけます。具体的には
- 国会議員への陳情
- 当事者家族が出席する記者会見
- 法務省前におけるキャンペーンアクション
- 支援コンサート
などが企画されていますが、日常業務を山ほど抱えるAPFSのスタッフ2人と若干名のボランティアによって運営されているキャンペーンのため、イベント報告や支援の呼びかけをタイムリーにこのブログに載せることさえもままならない状態ですが、キャンペーンは5月まで続く予定です。皆様の厚いご支援をよろしくお願いいたします。
2009年3月23日月曜日
仮放免が更新されました。
事務局からです。
本日、17家族のうちの1家族の仮放免更新に付き添い、無事更新
されました。とりあえずホッとしましたが、期間限定の更新です。今
度の更新の際にはまた、収容の可能性も頭に入れながら入国管
理局に行かなければいけません・・。
仮放免更新の際には必ず入国管理局職員と当事者が話をしますが、
入国管理局側はそれを「帰国を促す説得」と言ってますが、当事者か
らすれば「脅迫」に受け取れることも。今日の家族も「カルデロン家族
とあなたたち家族の違いはほとんどないんだから・・」と言われたそう
です。暗に「いつでも送還できるぞ」と言っているのだと思われます。
いつもながら、話の後に部屋から出てくる当事者がうっすらと涙を浮
かべているのを見るのはつらいです。
本日、17家族のうちの1家族の仮放免更新に付き添い、無事更新
されました。とりあえずホッとしましたが、期間限定の更新です。今
度の更新の際にはまた、収容の可能性も頭に入れながら入国管
理局に行かなければいけません・・。
仮放免更新の際には必ず入国管理局職員と当事者が話をしますが、
入国管理局側はそれを「帰国を促す説得」と言ってますが、当事者か
らすれば「脅迫」に受け取れることも。今日の家族も「カルデロン家族
とあなたたち家族の違いはほとんどないんだから・・」と言われたそう
です。暗に「いつでも送還できるぞ」と言っているのだと思われます。
いつもながら、話の後に部屋から出てくる当事者がうっすらと涙を浮
かべているのを見るのはつらいです。
2009年3月21日土曜日
2009年3月17日火曜日
今後の予定。
2009年3月16日月曜日
ガルシア家族について
家族構成
父(フィリピン出身)
母(フィリピン出身)
長女(日本生まれの13歳)
長男(日本生まれの10歳)
父親であるレネさんは1993年に日本に入国。3日間の寄港地入国でしたが、その後も日本に滞在し、超過滞在となります。一方、母親のメリージェーンさんは同年「興行」のビザにて来日しました。フィリピンにてすでに結婚していたレネさんとメリージェーンさんは、日本でも生活を共にするようになりました。レネさんは型枠大工をしながら家族の生計を支えてきました。また、メリージェーンさんはスナックなどで働きながら、フィリピンに残してきた両親などの生活を支えてきました。長女のアリアンちゃんは今年で中学2年生、長男ケビン君は今年で小学5年生になります。2人とも日本育ちです。もちろんフィリピンには行ったことがありません。
滞在資格がないながらも平穏に暮らしてきた家族でしたが、2006年4月、自宅に入国管理局の警備官が訪れ、家族全員を摘発しました。レネさん及びメリージェーンさんは入国管理局の収容施設に、子どもたちは児童相談所に送られました。両親は子どもと突如引き離されたことによりパニック状態となり、口頭審理を放棄する旨の書面に署名をしてしまいました。父に対しては同年5月1日付で、母に対しては同年4月28日付で退去強制令書が発付されています。2006年9月になるとメリージェーンさんには仮放免が認められ、子どもたちとすむことができるようになりましたが、レネさんは1年以上も仮放免が認められませんでした。また子どもたちには同年9月14日付で退去強制令書が発付されました。
家族は13年以上(当時)も暮らした日本に何とか滞在しつづけられるよう東京地裁に処分取消しの訴訟を起こしましたが、2007年に敗訴しています。その後、高裁にも控訴したのですが2008年3月に同じく敗訴です。最高裁にも2009年1月に棄却されており、再審は認められませんでした。残る手段は在留特別許可のみです。
退去強制の手続きにおいて口頭審理は重要なものであるにもかかわらず、入国管理局はレネさん及びメリージェーンさんに対して口頭審理の放棄をほぼ強要しました。また、これまで家族に対して在留特別許可が認められているケースでは子どもが中学生になってから摘発、あるいは家族が自ら出頭ケースが多いのですが、長女アリアンちゃんは摘発時には小学5年生でしたが2008年の4月には市立中学校に進学しています。
APFSとは?
APFSは、1980年代後半、いわゆる『ニューカマー(新来外国人)』の急増を背景として、日本人住民と外国籍住民とが共に助け合う『相互扶助』の考え方に基づき、豊かな多文化共生社会の実現を理念として掲げて発足しました。
多文化共生という言葉が世の中に浸透するずっと前、外国籍住民が差別や抑圧の厳しい現実に晒されていた時代にあって、バングラデシュ人と日本人とが中心となり、『単なる救援組織ではなく、お互いの国の良さを語り合う親善の会にしよう』と決まりました。
バングラデシュ人と日本人との友情が育んだAPFSは、現在では13カ国・3200人を超えるメンバーを擁する組織となり、活動の幅も広がっています。
私たちはこれからも、外国籍住民の人権擁護と日本人・外国人の相互理解・相互扶助を活動の柱とし、様々な出会いや協働の場を提供していきます。
APFSのホムページ
多文化共生という言葉が世の中に浸透するずっと前、外国籍住民が差別や抑圧の厳しい現実に晒されていた時代にあって、バングラデシュ人と日本人とが中心となり、『単なる救援組織ではなく、お互いの国の良さを語り合う親善の会にしよう』と決まりました。
バングラデシュ人と日本人との友情が育んだAPFSは、現在では13カ国・3200人を超えるメンバーを擁する組織となり、活動の幅も広がっています。
私たちはこれからも、外国籍住民の人権擁護と日本人・外国人の相互理解・相互扶助を活動の柱とし、様々な出会いや協働の場を提供していきます。
APFSのホムページ
2009年3月15日日曜日
100 DAYS ACTIONとは?
みなさまはじめまして!
当ブログをご閲覧いただきありがとうございます。
法務省入国管理局の資料によると、日本には2007年の時点で
約17万人の滞在資格をもたない外国人が住んでいるとされています。日本に滞在する外国人を20年以上も前から支援してきたAPFSは、この春、現在APFSが支援している17家族56人(うち子ども26名)に特別在留許可がおりるよう、100 DAYS ACTION キャンペーンを立ち上げることにしました。
本来であれば、これからの予定をここでどーんとお知らせしたいところなのですが、なにせとても小さな団体、未だに
キャンペーンの詳細が決まっていなかったりします。。。
ともあれ当ブログでは、100DAYS ACTIONキャンペーンの情報を、当事者の声とともに随時アップしていく予定です。このキャンペーンはおそらく5月の頭まで続きます。
支援してくださる方も、くださらない方も、当ブログをよろしくお願いいたします。
当ブログをご閲覧いただきありがとうございます。
法務省入国管理局の資料によると、日本には2007年の時点で
約17万人の滞在資格をもたない外国人が住んでいるとされています。日本に滞在する外国人を20年以上も前から支援してきたAPFSは、この春、現在APFSが支援している17家族56人(うち子ども26名)に特別在留許可がおりるよう、100 DAYS ACTION キャンペーンを立ち上げることにしました。
本来であれば、これからの予定をここでどーんとお知らせしたいところなのですが、なにせとても小さな団体、未だに
キャンペーンの詳細が決まっていなかったりします。。。
ともあれ当ブログでは、100DAYS ACTIONキャンペーンの情報を、当事者の声とともに随時アップしていく予定です。このキャンペーンはおそらく5月の頭まで続きます。
支援してくださる方も、くださらない方も、当ブログをよろしくお願いいたします。
シンポジウム 2/01/2009
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