2009年4月29日水曜日

年に一度の総会です

4月26日の日曜日は、年に一度のAPFSの総会でした。毎年、総会の日には、事務局、会員、ボランティア、その他支援してくださっている人々が集まり、前年度の活動の総括と、これから一年の活動予定、目標の設定を行います。また、決算報告および予算案の提案とかも行います。現在は100 Days Actionがまさに進行中のAPFSですが、在留特別許可を認めてもらう活動の他にも、普段から日本に在住する外国人の相談活動を行ったり、地域や会員同士の交流をはかるためにイベントを企画したり、さまざまな活動を行っているのです。今年もいろいろな活動が予定されています。興味ある方は是非ボランティアに参加しにきてください!

APFSのホームページ

2009年4月24日金曜日

大切なことは何度でもいったほうがいい。

在留特別許可とは滞在資格の無い外国人達に対して日本に居住することを特別に認める入国管理法50条1項にて定められた救済制度です。どんな人であっても簡単に認められてしまうような制度では全くなく、法務省入国管理局のコトバをかりていえば「個々の事案ごとに、在留を希望する理由、家族状況、生活状況、素行、内外の諸情勢、人道的な配慮の必要性、さらには我が国における不法滞在者に与える影響等、諸般の事情を総合的に勘案して判断」がくだされています。

よく法を犯したんだから帰るしかないじゃんとか言う人がいますが、在留特別許可はまさに法を犯して日本に滞在してしまっている人のためにある制度です。そしてそのような制度が残されているということは、一つの法律だけで罪の善し悪しのすべてが決定されるわけではないことを示唆しています。

法務省の発表によると、2005年に在留特別許可が認められた人の数は10834人、2006年は9360人、2007年は7388人です。違法行為なのだから日本から追放されるべきだと訴える人たちは、そもそも在留特別許可という制度自体が存在しているのがおかしいと考えているのでしょうか。

もう一度いいます。在留特別許可は法的な枠組内で運用されている、法を犯して日本に滞在している人が対象の現行の法制度に乗っ取った救済制度です。

<資料>
在留特別許可に係るガイドラインの策定について
(入国管理局)

入国管理局 入管政策・白書

2009年4月22日水曜日

アースデイ東京!


APFSのみんなでアースデイでボランティアしてきました!
今回はA SEED JAPANというNGOが業務を請け負っている、
ごみゼロナビゲーションという活動です。アースデイには沢山の飲食店が出店されてますが、使い捨ての食器を一切使わず会場内で貸し出し、洗浄、再利用を行う「リユース」というシステムを導入することにより、イベントより排出されるゴミの量を極限まで減らすことに成功しています。

当日は朝9時から夜9時までの長丁場でしたが、運良く天気にも恵まれ、アースデイ自体は大成功!こんなに食器のリユースが大変なら、みんな食べ物持ち寄りにすればいいのに!とかぶつくさ言う人もAPFSボランティアの中には若干一名(日本出身)いましたが、活気ある若者に囲まれ、楽しい一日を過ごすことができました。

ちなみにアースデイのホームページには以下のことがかかれています。

 「アースデイには、代表も規則もありません。民族・国籍・信条・政党・宗派をこえて、だれもが自由にその人の方法で、地球環境を守る意思表示をする国際連帯行動です。すべての人が、同じ輪の上で自由に起こせる、世界初でおそらく唯一のアクションがアースデイです。あなたもぜひ、自分と地球とそこに住むたくさんの生命との対話、アースデイ・アクションを起こしてください。そして、その活動を互いに知らせあい、大きな輪をつくりましょう。」

地球を思う気持ちに国籍など関係ありません。我々も世界とまた少しつながっちゃったかな!来年はAPFSブースを出したいです。

2009年4月20日月曜日


事務局からです。
先週日曜日、APFSは池袋でのボイシャキ・メラ(バングラデッシュの正月祭)に相談ブースを出しました。このブログで支援している17家族と同じように、在留資格などで困っている方々の相談も多く受けました。当日は天気もよく、たくさんの参加者が来場しました。そのため相談件数も多く、ベンガル語のチラシはすぐにはけてしまいました。
APFSはこのお祭りに毎年参加していますが、相談業務に追われながらも密かな楽しみはエスニック料理のブース巡りです。また、力強いバングラデッシュの楽器演奏や歌は、料理と同様くせになります。皆さんもお時間あれば来年以降ご来場ください!


2009年4月9日木曜日

日系人への政府による帰国支援策だって

既にご存知の方も多いことかと思いますが、厚生労働省が失業した日系人向けの帰国支援策を発表しました。支給額は一人30万円(扶養家族には20万円)とのことです。

失業日系人に帰国旅費30万円 厚労省、再入国はできず

http://www.asahi.com/job/news/TKY200903310287.html

この支援を受けて帰国した人は、その後、日系人としての在留資格で日本へ入国することができないとありますが、そんな規定、入管法にありましたっけ??はて、どうなることでしょう。

支援家族のブログ

以前にこのブログでも紹介したガルシア家族のブログです。

ガルシアさん家族の在留を求める会


よかったら読んでみてください!

2009年4月6日月曜日

2009年のエア花見

 


実物をいまだに目にしていないのですが、東京ではすでに桜が満開らしいです!APFSでも支援家族と共にお花見をするつもりだったのですが、あいにく天候に恵まれず、事務所でのエア花見となりました。しかし桜はなくともスタッフ、ボランティア、現当事者、元当事者の人たちが集まって、お酒を飲みつつ、楽しいひと時を過ごすことができました。

現在、在留特別許可を求めている17家族は、いつ国費送還されるかも分からない先の見えない不安の中で日々生活を営んでいます。今回エア花見に参加できなかった家族も、各自きちんと、できれば本物の桜の花の下で浮かれた気分を味わってもらいたいものです。季節ものですから!

さて、来年も17家族全員が日本で桜を楽しめるよう願ってくれる人は、この広い世界にはどのくらいいるのでしょうか?ご支援よろしくお願いします。Gmailのアカウントをもっている人は勇気をもって読者登録しましょう!

パレードがテレビで放映されました

ネットでたまたま発見したんですが、先日のパレードがTBSにて放映されたみたいです。
以下のサイトで動画もみられますよー。

「滞在資格認めて」、子供たちが訴え

 日本で暮らしたいと訴えたフィリピン人少女、カルデロンのり子さんの問題は両親と離れ少女一人が日本に残ることになりましたが、3日、のり子さんと同じように国外退去を命じられている子供たちが、都心を行進し、「日本で暮らしたい」と訴えました。

 「家族と日本で暮らしたい」、「将来の夢は警察官」。思い思いのメッセージを手に集まったのは、イランやペルー、フィリピンなど7か国のあわせて28人の子どもたちです。

(続きはリンク先から!)


2009年4月3日金曜日

パレードを行いました!


事務局からです。

本日、在留特別許可を求める非正規滞在外国人家族20家族が参加し、銀座・有楽町をパレードしました。総勢70名(うち子どもは40名弱)の参加者が日本で暮らしたい!学びたい!と訴えながら、暖かい春の日差しの下を歩きました。1時間程度のパレードの後は法務省に行き、APFSスタッフが仮放免の更新と在留特別許可の再度慎重な審査を求める要望書を法務省職員に手渡しし、今回のパレードは終了しました。

参加した子どもたちは最初は照れていましたが、そのうちに大きな声で、「日本にいたい!日本で勉強させて!」と強く訴えていました。

今後も100日間アクションは続いていきます!イベントも逐次報告していきます♪

2009年4月1日水曜日

イフカタール家族


家族構成

父(パキスタン出身)
母(フィリピン出身)
長女(8才 日本生まれ フィリピン国籍)
長男(2才 日本生まれ フィリピン国籍)

父、ナディムさんが日本に来日したのは1988年です。15日間の滞在が認められ入国しましたが、期限が切れた後も日本に残り、溶接工などをして暮らしてきました。また、母親のアレリさんが日本に来たのは1996年です。彼女は短期滞在の在留資格で90日間の滞在がみとめられ入国しましたが、ナディムさんと同様に期間更新をすることなく超過滞在となりました。

日本で知り合った2人は1997年より同居するようになります。パキスタン、フィリピン両大使館に婚姻届けも出しています。次女アズカちゃんが生まれるあたり、今までのように違法状態のまま日本社会に隠れて住み続けるべきではないと考え、2006年8月14日に東京入国管理局に在留特別許可を求めて自ら出頭しました。2007年1月には在留を認めないとの裁決がくだされ、ナディムさんのみ収容されました。翌年3月には東京地裁に提訴し、10月にはナディムさんの仮放免が認められました。

イフタカール家族の場合、父親であるナディムさん(パキスタン国籍)と母親であるアレリさん(フィリピン国籍)の国籍が異なります。家族に対して強制退去が執行された場合、父と子はパキスタンに、母はフィリピンに送還される可能性が高く、家族が引き離されてしまうことが想定されます。仮にアレリさんがパキスタンに送還された場合でも、パキスタンの政情はとても不安定であり、子どもらに危険が及ぶ可能性を両親は危惧しています。一方、ナディムさんがフィリピンに送還されたとしても、今まで一度も暮らしたことのない国で、現地の言葉を勉強しながら、仕事を探し、家族を支えていくということは、簡単に成し遂げられることではありません。日本で長い時間をかけて培ってきた溶接の技術もフィリピン、あるいはパキスタンにおいて十分に生かすことができるかも定かではありません。