2009年6月26日金曜日

100 DAYS ACTION 終了です!


 
 APFS事務局です。

 在留特別許可を求める非正規滞在家族を、集中的に支援する
 この「100 DAYS ACTION」も終了となります。
 このACTIONの間に、法務省への要望書提出3回、有楽町・銀座でのパレード、
 子どもサミットなど様々な行動を繰り広げることができました。そのかいあって、
 支援家族の誰も収容・送還されることなく、仮放免の更新を続けることがてきました。

 「100DAYS ACTION」は終わりますが、APFSではこれらの家族を含めた非正規
 滞在家族への支援を引き続き行っていきます。非正規であっても、日本で生まれ
 育った子どもたち、経済基盤がすでに日本にしかないお父さん、お母さん、皆日本
 で暮らしていく切羽詰った事情があります。皆さんにご理解頂き、今後もご協力頂
 ければと思っています。

 *「100DAYS ACTION」終了にともない、このブログも近日閉鎖いたします。
   これまで読んで下さった皆さん、ありがとうございました。
  

2009年5月18日月曜日

今日の引用

「時に人間と対峙し規律する法は、その立案や解釈適用に峻厳であるだけでなく、時に柔軟な暖かい配慮があってこそ法の存在意義を見出すことができる」
(APFS編 子どもたちにアムネスティより)

忙しくて更新を怠っています。
申し訳ない。。。

2009年5月7日木曜日

両親のことは怒っていない ー 子どもサミット2009開催!

5月5日は子どもの日ということで、支援家族の子どもが集まり子どものための会議、名付けて「子どもサミット」が都内某所にて開かれました。こちらも100日間アクションの一環です。今回の会議の参加資格は小学生5年生以上高校生以下ということもあり、会議に参加した子どもの数は10数名となりました。参加した子ども達の国籍はフィリピン、中国、男女比はほぼ半数です。

会議といってもやはり子ども会議。常に子どもパワーが炸裂で進行担当の事務局スタッフもた、た、た、大変です。子どもサミットの最終ミッションは当事者である子ども達の生の声を集めて、法務大臣に聞いてもらうことなのですが、子ども達は子ども達の世界で子ども論理で一生懸命生きている訳ですから、大人の事情で大人の世界で通用するコトバに翻訳するのは至難の技です。

ワールドカップでどこの国応援するー?と訪ねても、必ずしも「日本」やお父さんお母さんの僕である「フィリピン」「中国」といった大人の期待する回答が帰ってくる訳でもなく、笑顔で「ブラジルぅー」とか答えられてしまったりします。また、法務大臣の先生に何をしてもらいたいかと訪ねても、「戦車で☆&○♯ー!ウギャー!」と理解不能な展開になってしまったり...

大人の期待を裏切るかのように子どもサミットは子ども達が子どもの世界で子どもながらも一生懸命に生きていることを明らかにします。彼/女らは入国管理法の知識なんてもちろんないし、国籍、国家、パスポート、滞在資格などの理解も大人とは異なる思考回路で理解します。そのため、大人が納得してなおかつ感動するようなコトバで自分の考えや意思を伝えるのはまだ得意じゃないかもしれないけれど、少なくとも自分達がなんだか大変な状況に置かれてしまっていることはきちんとわかっています。また、家族と一緒に暮らし続けたい、友達と離れたくない、行ったことも無い国で暮らすのははとても不安といった気持ちは、決して大人に媚びてとりあえず言ってみたというような物ではありません。

子ども達は両親に対して怒っていないと口を揃えていいます。冷静に考えればそれはそのはずで、子ども達は普通に日本に生まれて、日本で育ち、日本籍の子どもと同様に時にはレールを外れちゃうこともあるかもしれないけれど、普通に学校へ行って、普通に暮らしているだけなんです。そのような普通の生活をさせてくれる両親はむしろ感謝の対象であるわけで、怒りの矛先を向ける相手ではないということなのでしょう。

2009年4月29日水曜日

年に一度の総会です

4月26日の日曜日は、年に一度のAPFSの総会でした。毎年、総会の日には、事務局、会員、ボランティア、その他支援してくださっている人々が集まり、前年度の活動の総括と、これから一年の活動予定、目標の設定を行います。また、決算報告および予算案の提案とかも行います。現在は100 Days Actionがまさに進行中のAPFSですが、在留特別許可を認めてもらう活動の他にも、普段から日本に在住する外国人の相談活動を行ったり、地域や会員同士の交流をはかるためにイベントを企画したり、さまざまな活動を行っているのです。今年もいろいろな活動が予定されています。興味ある方は是非ボランティアに参加しにきてください!

APFSのホームページ

2009年4月24日金曜日

大切なことは何度でもいったほうがいい。

在留特別許可とは滞在資格の無い外国人達に対して日本に居住することを特別に認める入国管理法50条1項にて定められた救済制度です。どんな人であっても簡単に認められてしまうような制度では全くなく、法務省入国管理局のコトバをかりていえば「個々の事案ごとに、在留を希望する理由、家族状況、生活状況、素行、内外の諸情勢、人道的な配慮の必要性、さらには我が国における不法滞在者に与える影響等、諸般の事情を総合的に勘案して判断」がくだされています。

よく法を犯したんだから帰るしかないじゃんとか言う人がいますが、在留特別許可はまさに法を犯して日本に滞在してしまっている人のためにある制度です。そしてそのような制度が残されているということは、一つの法律だけで罪の善し悪しのすべてが決定されるわけではないことを示唆しています。

法務省の発表によると、2005年に在留特別許可が認められた人の数は10834人、2006年は9360人、2007年は7388人です。違法行為なのだから日本から追放されるべきだと訴える人たちは、そもそも在留特別許可という制度自体が存在しているのがおかしいと考えているのでしょうか。

もう一度いいます。在留特別許可は法的な枠組内で運用されている、法を犯して日本に滞在している人が対象の現行の法制度に乗っ取った救済制度です。

<資料>
在留特別許可に係るガイドラインの策定について
(入国管理局)

入国管理局 入管政策・白書

2009年4月22日水曜日

アースデイ東京!


APFSのみんなでアースデイでボランティアしてきました!
今回はA SEED JAPANというNGOが業務を請け負っている、
ごみゼロナビゲーションという活動です。アースデイには沢山の飲食店が出店されてますが、使い捨ての食器を一切使わず会場内で貸し出し、洗浄、再利用を行う「リユース」というシステムを導入することにより、イベントより排出されるゴミの量を極限まで減らすことに成功しています。

当日は朝9時から夜9時までの長丁場でしたが、運良く天気にも恵まれ、アースデイ自体は大成功!こんなに食器のリユースが大変なら、みんな食べ物持ち寄りにすればいいのに!とかぶつくさ言う人もAPFSボランティアの中には若干一名(日本出身)いましたが、活気ある若者に囲まれ、楽しい一日を過ごすことができました。

ちなみにアースデイのホームページには以下のことがかかれています。

 「アースデイには、代表も規則もありません。民族・国籍・信条・政党・宗派をこえて、だれもが自由にその人の方法で、地球環境を守る意思表示をする国際連帯行動です。すべての人が、同じ輪の上で自由に起こせる、世界初でおそらく唯一のアクションがアースデイです。あなたもぜひ、自分と地球とそこに住むたくさんの生命との対話、アースデイ・アクションを起こしてください。そして、その活動を互いに知らせあい、大きな輪をつくりましょう。」

地球を思う気持ちに国籍など関係ありません。我々も世界とまた少しつながっちゃったかな!来年はAPFSブースを出したいです。

2009年4月20日月曜日


事務局からです。
先週日曜日、APFSは池袋でのボイシャキ・メラ(バングラデッシュの正月祭)に相談ブースを出しました。このブログで支援している17家族と同じように、在留資格などで困っている方々の相談も多く受けました。当日は天気もよく、たくさんの参加者が来場しました。そのため相談件数も多く、ベンガル語のチラシはすぐにはけてしまいました。
APFSはこのお祭りに毎年参加していますが、相談業務に追われながらも密かな楽しみはエスニック料理のブース巡りです。また、力強いバングラデッシュの楽器演奏や歌は、料理と同様くせになります。皆さんもお時間あれば来年以降ご来場ください!


2009年4月9日木曜日

日系人への政府による帰国支援策だって

既にご存知の方も多いことかと思いますが、厚生労働省が失業した日系人向けの帰国支援策を発表しました。支給額は一人30万円(扶養家族には20万円)とのことです。

失業日系人に帰国旅費30万円 厚労省、再入国はできず

http://www.asahi.com/job/news/TKY200903310287.html

この支援を受けて帰国した人は、その後、日系人としての在留資格で日本へ入国することができないとありますが、そんな規定、入管法にありましたっけ??はて、どうなることでしょう。

支援家族のブログ

以前にこのブログでも紹介したガルシア家族のブログです。

ガルシアさん家族の在留を求める会


よかったら読んでみてください!

2009年4月6日月曜日

2009年のエア花見

 


実物をいまだに目にしていないのですが、東京ではすでに桜が満開らしいです!APFSでも支援家族と共にお花見をするつもりだったのですが、あいにく天候に恵まれず、事務所でのエア花見となりました。しかし桜はなくともスタッフ、ボランティア、現当事者、元当事者の人たちが集まって、お酒を飲みつつ、楽しいひと時を過ごすことができました。

現在、在留特別許可を求めている17家族は、いつ国費送還されるかも分からない先の見えない不安の中で日々生活を営んでいます。今回エア花見に参加できなかった家族も、各自きちんと、できれば本物の桜の花の下で浮かれた気分を味わってもらいたいものです。季節ものですから!

さて、来年も17家族全員が日本で桜を楽しめるよう願ってくれる人は、この広い世界にはどのくらいいるのでしょうか?ご支援よろしくお願いします。Gmailのアカウントをもっている人は勇気をもって読者登録しましょう!

パレードがテレビで放映されました

ネットでたまたま発見したんですが、先日のパレードがTBSにて放映されたみたいです。
以下のサイトで動画もみられますよー。

「滞在資格認めて」、子供たちが訴え

 日本で暮らしたいと訴えたフィリピン人少女、カルデロンのり子さんの問題は両親と離れ少女一人が日本に残ることになりましたが、3日、のり子さんと同じように国外退去を命じられている子供たちが、都心を行進し、「日本で暮らしたい」と訴えました。

 「家族と日本で暮らしたい」、「将来の夢は警察官」。思い思いのメッセージを手に集まったのは、イランやペルー、フィリピンなど7か国のあわせて28人の子どもたちです。

(続きはリンク先から!)


2009年4月3日金曜日

パレードを行いました!


事務局からです。

本日、在留特別許可を求める非正規滞在外国人家族20家族が参加し、銀座・有楽町をパレードしました。総勢70名(うち子どもは40名弱)の参加者が日本で暮らしたい!学びたい!と訴えながら、暖かい春の日差しの下を歩きました。1時間程度のパレードの後は法務省に行き、APFSスタッフが仮放免の更新と在留特別許可の再度慎重な審査を求める要望書を法務省職員に手渡しし、今回のパレードは終了しました。

参加した子どもたちは最初は照れていましたが、そのうちに大きな声で、「日本にいたい!日本で勉強させて!」と強く訴えていました。

今後も100日間アクションは続いていきます!イベントも逐次報告していきます♪

2009年4月1日水曜日

イフカタール家族


家族構成

父(パキスタン出身)
母(フィリピン出身)
長女(8才 日本生まれ フィリピン国籍)
長男(2才 日本生まれ フィリピン国籍)

父、ナディムさんが日本に来日したのは1988年です。15日間の滞在が認められ入国しましたが、期限が切れた後も日本に残り、溶接工などをして暮らしてきました。また、母親のアレリさんが日本に来たのは1996年です。彼女は短期滞在の在留資格で90日間の滞在がみとめられ入国しましたが、ナディムさんと同様に期間更新をすることなく超過滞在となりました。

日本で知り合った2人は1997年より同居するようになります。パキスタン、フィリピン両大使館に婚姻届けも出しています。次女アズカちゃんが生まれるあたり、今までのように違法状態のまま日本社会に隠れて住み続けるべきではないと考え、2006年8月14日に東京入国管理局に在留特別許可を求めて自ら出頭しました。2007年1月には在留を認めないとの裁決がくだされ、ナディムさんのみ収容されました。翌年3月には東京地裁に提訴し、10月にはナディムさんの仮放免が認められました。

イフタカール家族の場合、父親であるナディムさん(パキスタン国籍)と母親であるアレリさん(フィリピン国籍)の国籍が異なります。家族に対して強制退去が執行された場合、父と子はパキスタンに、母はフィリピンに送還される可能性が高く、家族が引き離されてしまうことが想定されます。仮にアレリさんがパキスタンに送還された場合でも、パキスタンの政情はとても不安定であり、子どもらに危険が及ぶ可能性を両親は危惧しています。一方、ナディムさんがフィリピンに送還されたとしても、今まで一度も暮らしたことのない国で、現地の言葉を勉強しながら、仕事を探し、家族を支えていくということは、簡単に成し遂げられることではありません。日本で長い時間をかけて培ってきた溶接の技術もフィリピン、あるいはパキスタンにおいて十分に生かすことができるかも定かではありません。

2009年3月30日月曜日

「オルタボイスフェスタ」に参加してきましたー!!

3月29日の日曜日には、JR戸塚駅(神奈川県)の駅前広場で行われた「ルタボイスフェスタ」に参加してきました!このフェスタは、外国につながりを持つ子どもや若者たちの声を発信することを目的としたものです。APFSからは17家族より2家族、ラフィークさん一家(父:スリランカ出身 母:ペルー出身)と中国出身のAさん親子が参加し、在留特別許可を求める署名活動もしてきました。

「はじめは怖かったけど、協力してくれる人がたくさんいてとても嬉しかった。」とは、参加した支援家族の子どもの声です。最初は緊張して自分から声をかけることが出来なかった子ども達も、多くの方から励ましを受けて、署名の終盤には自分から積極的に声を出すようになってました。一緒に参加していたAPFSのスタッフも、3時間といった短い時間でも早速成長をしている姿を見てとても嬉しく思ったそうです。

また、ステージで10分ほど「在留特別許可」を求めるアピールもさせていただきました。ラフィークさんの子どもたちは、それぞれしっかりと前を向いて「医者」「警察官」になりたいという夢を語りましたが、Aさんの子どもは、父親が入国管理局に収容されたいた頃の辛い経験を思い出したのか、言葉を発することができず涙を流してしまいました。けれども、この姿が「在留特別許可」の背景にある問題の複雑さ・深刻さを伝えることとなったのでしょう。その後、沢山の方から励ましの言葉を頂きました。

署名活動を継続する中では多くの出会いがあります。今回も、子ども時代の経験を話してくれた外国籍の方、難民支援をしている弁護士さん、在留特別許可を取られたイランの方などが、親身になって家族を励まし具体的なアドバイスをくださいました。その中でも最も感動的だったのは、参加していた地元の高校生が「私、集めてきます!」と言って一緒に署名を集めてくれたことです。この高校生の行為に対して、Aさんは「大変なこともたくさんあるけど、日本には沢山いい人もいる。本当に嬉しい。」と涙ながらに喜んでいました。

2家族にとって初めての署名活動は大成功に終わり、ラフィークさんも「今度はもっと大きい駅で署名活動をやりたい」と帰り際に署名活動に対する意欲をみせていました。今回は、外国人に理解のある人が多いイベント内での参加ということもあって、署名に協力的な方が多かったように思います。署名してくださった皆様、本当にありがとうございました!しかし、われわれの活動に賛同しない人や、全くをもって無関心な人に署名活動を通じて出会うことも決して少なくありません。一人でも多くの方に問題を理解していただくために、今後も署名活動を継続していきたいと思います!(予定は未定とかは言わないでください。。。)

2009年3月29日日曜日

韓国で2重国籍が可能に!


お隣りの韓国では限定的ではあるが2重国籍が可能になったそうです。

法務部が二重国籍の限定的容認案、優秀人材確保へ(Yahoo Japan News)

2009年3月27日金曜日

100 Days Action!(詳細版)


昨今のマスメディアによる連日のカルデロン家族に関する報道をきっかけに、日本にも「不法滞在」外国人が住んでいるのだと初めて認識した方々も多いのではないでしょうか?滞在資格が無いままに日本に居住する外国人の数は現在11万人とも17万人ともいわれています。彼らの多くはバブル景気で世の中が浮かれていた頃、圧倒的な労働力不足という背景の中来日した人々です。日本政府は単純労働者の受け入れを公に認めてはいなかったため、有資格者の模範的な外国人以外は、さまざまな手段を用いて日本に流れ込んできたのでした。そして、実際に彼らを必要とする労働市場が日本には存在しており、ある意味、行政も黙認してきたのです。

今回、私たちが支援している17家族56名も、そのような数多くの外国人労働者の一部にすぎません。イラン、スリランカ、中国、パキスタン、フィリピン、ペルー、ミャンマーからやってきた彼/女らのどの家族もすでに日本での居住年数が15年から20年を超えており、滞在資格が無いながらも、日本で働き、日本人の友人達と支え合い、多くの日本人と同様に平穏な生活を地道に築き上げてきた人々です。そして、私たちが支援するすべての家族には日本に生まれて、日本で育ち、両親の故郷の地を全く知らない子どもたちがいます。

100 Days Actionキャンペーンが目標とするのは、そんな彼らが堂々と胸を張って日本で住み続けることのできるよう在留特別許可を得ることです。在留特別許可とは、入管法50条1項にて定められた、滞在資格の無い外国人達が日本で居住することが認められる法的な救済処置であり、法務大臣に裁量権が任せられています。APFSをはじめとした様々な市民団体、弁護士そしてもちろん当事者達の活動の成果もあり、法務省は在留特別許可に関するガイドラインおよび認定/非認定事例の一部ケースを公開するようにはなりましたが、いまだにその運用には不明瞭な点も多く、果たして法の下の平等が守られているのか市民を巻き込んできちんと検討していく必要があります。

2009年2月1日に始まった今回のキャンペーンでは、様々なイベント/行動を通して、支援する17家族全員が在留特別許可を得られるよう日本政府に働きかけます。具体的には

- 国会議員への陳情
- 当事者家族が出席する記者会見
- 法務省前におけるキャンペーンアクション
- 支援コンサート

などが企画されていますが、日常業務を山ほど抱えるAPFSのスタッフ2人と若干名のボランティアによって運営されているキャンペーンのため、イベント報告や支援の呼びかけをタイムリーにこのブログに載せることさえもままならない状態ですが、キャンペーンは5月まで続く予定です。皆様の厚いご支援をよろしくお願いいたします。

2009年3月23日月曜日

仮放免が更新されました。

事務局からです。

本日、17家族のうちの1家族の仮放免更新に付き添い、無事更新
されました。とりあえずホッとしましたが、期間限定の更新です。今
度の更新の際にはまた、収容の可能性も頭に入れながら入国管
理局に行かなければいけません・・。

仮放免更新の際には必ず入国管理局職員と当事者が話をしますが、
入国管理局側はそれを「帰国を促す説得」と言ってますが、当事者か
らすれば「脅迫」に受け取れることも。今日の家族も「カルデロン家族
とあなたたち家族の違いはほとんどないんだから・・」と言われたそう
です。暗に「いつでも送還できるぞ」と言っているのだと思われます。

いつもながら、話の後に部屋から出てくる当事者がうっすらと涙を浮
かべているのを見るのはつらいです。

2009年3月21日土曜日

テスト

今日は相談日でした。
詳細は後ほど。

2009年3月17日火曜日

今後の予定。


このブログの今後の予定としてはー

  • 100 DAYS ACTIONについてもっと詳しい説明をします。
  • 在留特別許可に関してもう少し説明を載せます。不法入国者でも許可を得た例はあります!
  • 当事者の声を載せます!動画もあるかもしれません。
  • アイデア募集します。(人手不足でできないことのほうが多いと思いますけど。。。)
  • 頻繁に更新したい。

2009年3月16日月曜日

ガルシア家族について


家族構成

父(フィリピン出身)
母(フィリピン出身)
長女(日本生まれの13歳)
長男(日本生まれの10歳)

父親であるレネさんは1993年に日本に入国。3日間の寄港地入国でしたが、その後も日本に滞在し、超過滞在となります。一方、母親のメリージェーンさんは同年「興行」のビザにて来日しました。フィリピンにてすでに結婚していたレネさんとメリージェーンさんは、日本でも生活を共にするようになりました。レネさんは型枠大工をしながら家族の生計を支えてきました。また、メリージェーンさんはスナックなどで働きながら、フィリピンに残してきた両親などの生活を支えてきました。長女のアリアンちゃんは今年で中学2年生、長男ケビン君は今年で小学5年生になります。2人とも日本育ちです。もちろんフィリピンには行ったことがありません。

滞在資格がないながらも平穏に暮らしてきた家族でしたが、2006年4月、自宅に入国管理局の警備官が訪れ、家族全員を摘発しました。レネさん及びメリージェーンさんは入国管理局の収容施設に、子どもたちは児童相談所に送られました。両親は子どもと突如引き離されたことによりパニック状態となり、口頭審理を放棄する旨の書面に署名をしてしまいました。父に対しては同年5月1日付で、母に対しては同年4月28日付で退去強制令書が発付されています。2006年9月になるとメリージェーンさんには仮放免が認められ、子どもたちとすむことができるようになりましたが、レネさんは1年以上も仮放免が認められませんでした。また子どもたちには同年9月14日付で退去強制令書が発付されました。

家族は13年以上(当時)も暮らした日本に何とか滞在しつづけられるよう東京地裁に処分取消しの訴訟を起こしましたが、2007年に敗訴しています。その後、高裁にも控訴したのですが2008年3月に同じく敗訴です。最高裁にも2009年1月に棄却されており、再審は認められませんでした。残る手段は在留特別許可のみです。

退去強制の手続きにおいて口頭審理は重要なものであるにもかかわらず、入国管理局はレネさん及びメリージェーンさんに対して口頭審理の放棄をほぼ強要しました。また、これまで家族に対して在留特別許可が認められているケースでは子どもが中学生になってから摘発、あるいは家族が自ら出頭ケースが多いのですが、長女アリアンちゃんは摘発時には小学5年生でしたが2008年の4月には市立中学校に進学しています。

テスト

テスト。春ですね

カルデロン家族の記事2

こちらもカルデロン家族に関する記事です。

カルデロンさん両親帰国へ「残念だが…」と感謝の言葉

よく間違われるのですが、APFSは実はカルデロン一家に対して直接の支援は行っていないんです。

カルデロン家族に関する記事がForbesに掲載されました

いきなり英語の記事で恐縮ですが
カルデロン家族に関する記事がForbesという雑誌に掲載されていました。

- School Girl Makes Japan Uneasy

ご参考まで。

APFSとは?

APFSは、1980年代後半、いわゆる『ニューカマー(新来外国人)』の急増を背景として、日本人住民と外国籍住民とが共に助け合う『相互扶助』の考え方に基づき、豊かな多文化共生社会の実現を理念として掲げて発足しました。

多文化共生という言葉が世の中に浸透するずっと前、外国籍住民が差別や抑圧の厳しい現実に晒されていた時代にあって、バングラデシュ人と日本人とが中心となり、『単なる救援組織ではなく、お互いの国の良さを語り合う親善の会にしよう』と決まりました。

バングラデシュ人と日本人との友情が育んだAPFSは、現在では13カ国・3200人を超えるメンバーを擁する組織となり、活動の幅も広がっています。
私たちはこれからも、外国籍住民の人権擁護と日本人・外国人の相互理解・相互扶助を活動の柱とし、様々な出会いや協働の場を提供していきます。

APFSのホムページ

2009年3月15日日曜日

100 DAYS ACTIONとは?

みなさまはじめまして!
当ブログをご閲覧いただきありがとうございます。

法務省入国管理局の資料によると、日本には2007年の時点で
約17万人の滞在資格をもたない外国人が住んでいるとされています。日本に滞在する外国人を20年以上も前から支援してきたAPFSは、この春、現在APFSが支援している17家族56人(うち子ども26名)に特別在留許可がおりるよう、100 DAYS ACTION キャンペーンを立ち上げることにしました。

本来であれば、これからの予定をここでどーんとお知らせしたいところなのですが、なにせとても小さな団体、未だに
キャンペーンの詳細が決まっていなかったりします。。。

ともあれ当ブログでは、100DAYS ACTIONキャンペーンの情報を、当事者の声とともに随時アップしていく予定です。このキャンペーンはおそらく5月の頭まで続きます。

支援してくださる方も、くださらない方も、当ブログをよろしくお願いいたします。

支援/ボランティアのお願い



この投稿はいまだ作成中です。
けど、まずはいくつかできること。

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シンポジウム 2/01/2009



実はすでにキャンペーンは始まっていました。。。

記念すべき一回目のイベントは、2009年2月1日に開かれた「移住労働者とその家族の日本で暮らす権利」です。参加者は約80名。その大部分が日本に住む外国人の方達で、日本語の発表にも一生懸命に耳を傾けていました。